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     やわらかな時刻−とき−(Short Version)


  「やれやれ…」
 幸村を探していた信幸は小さく息をつく。それはとても優しいため息だった。

 柿の木をよじ登ろうとしている幸村を、驚かさないように気遣いながら、信幸は庭へと下りていく。
 近づいてくる信幸の気配に気づいて、幸村も木の上から手を振ってくる。

 「よそ見をして落ちるなよ」
 「だいじょーぶだよっ」
 そう言った矢先、ぱきっという音がした。

 「えっ…うわっー」
 「幸村ッ」
 足をかけた枝が弱かったらしい。軽い音を発てて、その枝は折れてしまった。隙ができた瞬間のことで、幸村は上手く態勢がとれないままに落ちていく。

 目の前に降ってきた幸村を、とっさに信幸は受け止めた。だが、小さな子供ならともかく、大人の身体を受け止めきるのは難しい。信幸は受け身を取りきれず、地面に背を打ちつけた。

 「くっ…」
 一瞬、息が詰まる。そのまま地面を転がりながらも、信幸の腕はしっかりと幸村を抱えていた。

 「ふうっ…大丈夫か、幸村」
 「うん、大丈夫。あっ…ごめん、兄さん」
 信幸を下敷きにしていることに気づいて、幸村は身体をどけようとした。しかし、信幸に抱え込まれて、その動きを阻まれてしまう。

 「兄さん…」
 「驚いたぞ。いきなり降ってくるんだからな。そういえば…」

 くすりと、信幸が笑った。幸村は『何?』と、信幸の顔を見つめる。信幸の笑みに、ちょっと意地の悪いものが混じっていく。それを間近で目にした幸村の背に、何やら嫌なものが走った。

 「昔も柿の木から落ちただろう。いくつになっても子供のような奴だな」
 「そんなこと思い出さなくてもいいよっ。…に、兄さんッー」

 拗ねたように信幸の腕から強引に抜け出そうとして、幸村は信幸が腕から血を流していることに気がついた。今度こそ、慌てて信幸の上から飛び下りる。
 腕から離れいてく温もりを惜しみながら、信幸も身体を起こす。そして、初めて気づいたように、傷ついた腕を見た。

 「…これか」
 「これかじゃないよ。ケガしてんなら、早く言って」
 「かすり傷だ。たいしたことはない」
 当の信幸は落ち着いたものだ。幸村の方が焦って手当てをしている。

 「ごめんなさい、兄さん」
 「気にするな」
 「でも、ボクのせいだもの。ごめんなさい」
 幸村はしょんぼりと耳の垂れた猫のようになってしまった。その姿の愛しさに、信幸は手を伸ばして、幸村の前髪を撫でてやる。

 「言う言葉が違うだろう、幸村」
 しばし目を瞑った幸村が、すっと顔を上げる。そして、にっこりと微笑った。
 「……うん。ありがとう、兄さん」
 「それでいい」
 信幸の顔にも、柔らかな笑みが浮かぶ。

 「幸村…」
 「…兄さん」
 互いに呼び合って、そっと唇が触れた。一度離れて、またすぐに接吻に戻る。次第にそれは深くなっていく。
 ふうーっと、どちらからともなく甘い吐息が溢れた。

 「ねぇ、兄さん。今晩、話をしにいっていい?」
 何の話かを言わずとも、互いに承知のことだ。
 「ああ、待っているぞ、幸村」
 「うん」

 幸村が嬉しそうに微笑う。その笑顔は、信幸が一番好きなものだった。顎に指をかけて、再び接吻を交わす。
 その刹那、時刻(とき)が止まる。橙に萌える夕日の中で、一枚の絵が完成した瞬間だった。



 幸村は九度山の柿の木を見上げていた。
 『兄さん……』

 信幸が身体を張って、自分に足りないものを教えてくれた。もっと強くなろうと思う。大切なものは、己の手で守りたい。

 分かたれた道がまた一つになることは、互いの立場を考えると難しいだろう。でも、命がある限り、またいつか出会うことがあるはずだ。幸村はそう信じていた。

 「ボクは強くなるよ…兄さん」
 遥か遠くで、信幸が満足そうに微笑ったように思う。それに応えて、幸村も綺麗に微笑んだ。




 6月24日のイベントで、極少数頒布した本に載せたもののショートバージョンです。元々HP用に考えてたネタなんですが、予定した話がどうしても間に合わなかった為に、急遽そうなりました。『今晩』のシーンを加えたフルバージョンに、幸村×サスケの話を加えた完全版を、夏コミに発行しました。





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